かーきアサヒの建築手記

建築デザインについての時短術や現留学先での生活の違いを面白くまとめていきます

人の生活はどのように変化するのか?新型コロナウイルス考察

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新型コロナウイルスによって発展する都市の長期的な影響について考察をしていきます。

 

 

疫病と都市発展ー長期的な影響

公共衛生の起源

新型コロナウイルスを語る前に、西洋で公共衛生が提唱され始めたときのことを振り返りましょう。

 

18世紀頃、西洋でPublic Health(公共衛生)は民主政治が始まった時に提唱され始めた考え方です。都市に居住する中流階級はThe Publicと呼ばれたため、Public Healthはこの市民層に向けたものであることがわかります。

 

公共衛生は中流階級層を守り、The Poorと呼ばれる貧困層はこの制度からは見捨てられ、疫病の温床になりやすくなっています。

 

貧困層は密集して生活し医療的な保険や経済条件もないため、全体人口の比率からすると貧困層死亡率が高く、救急で病院に運ばれたとしても既に手遅れのようなことが多々ありました。

 

そのような背景もあり、貧困層のような経済実力が弱い市民が疫病の非常時に切り捨てられ、中流階級層以上の人口を守るための施策が行われてきました。

 

疫病が元は地域格差、経済格差と密接に関わっていることがわかります

 

現在は公共衛生の概念は国ごとに異なり、先進国でも日本のように衛生にかなり気をつけている国もあれば、先進国でも衛生観念が形成できていない国もたくさんあります。

民主主義・資本主義的価値観と社会主義的価値観

この世の中には多様な価値観が存在しています。

 

しかし、異なる価値観は必ずしも隔てなく受け入れられるわけではなく、価値観同士で衝突・抵触する部分が出てきます。

 

価値観に、

  • 平等
  • 包容
  • 開放
  • 多様性

を求めつつ、

  • 安全
  • 秩序
  • 整理
  • 統一
  • 活力

などのような価値観も現代社会は求めています。

しかし、安全を追求する価値観と、個人のプライバシーを追求する価値観では矛盾が生じることがあります

 

民主主義を唱える西洋の国家では、自由と個人のプライバシー、そして人権に最大限の考慮をする代わりに、安全に対しての考慮が未熟であるという指摘があります。

 

世界を支えてきたのは第三次産業、サービス業であり、これは資本主義的な価値観と言えます。

 

このような傾向が顕著に見られたのはイタリアで、イタリアはヨーロッパ内で7大工業国として経済実力を持っています。

 

しかしイタリアは経済的な実力があるのに関わらず、国の政策で旅行・観光業に資金を投じる一方で医療に投じる資金を減らしていたことで、新型コロナウイルスの感染爆発が起きた時に不十分な医療体制しか整いませんでした。

 

イタリアの医療体制は実際には発展途上のアジア諸国の水準にも及びません。

 

同じようにフランスもこのような問題が見られます。ドイツと同程度の医療技術を有しているのに、フランスには急な感染拡大に伴う患者数を受け入れるための医療設備、病床数が足りていません。

 

アメリカの場合、さらにその医療体制の脆弱性が顕著です。ペンシルベニア州ピッツバーグで全面的な医療保険に加入する場合、月に2000$ほどの費用が掛かり、これはアジア諸国の平均収入に匹敵するものです。

 

このような資本主義的な価値観がもたらした負の一面がコロナ禍によって表面化されたのだと思います。

 

疫病などの非常時に行われる資源の分配や社会からの補償、政府からの補償、そして集団による隔離政策などは、公共衛生はその民主主義・資本主義の対極として語られる社会主義的価値観であるとも言えます。

 

今回のコロナ禍で中国のようなビッグデータを活用した市民の追跡や迅速な隔離政策は人権を重んじる民主国家ではまず不可能であり、社会主義的な施策によるものだと理解できます。

 

中国武漢パンデミックが起きた際に海外でパンデミックが起きるまで約6週間ほどの期間、中国の医師団による防疫の経験を蓄積し世界に向けて発信していました。

 

ですが、武漢で見られた交通網の徹底的な遮断、ロックダウン、7日間で建設された大規模な新設病院と病床、そして大量の医師を投入するような政策は、ほかの国が模倣するのは至難の業でしょう。

 

資源の分配構造が異なる国の間では、経験の共有は非常に困難です

 

それを受け、現在欧州国家間では民主国家にも応用できる新たな政策を模索する動きが出てきています。

不測の事態、最悪の事態とは

周期的な感染爆発と緩和がもたらす生活への影響

前文では経済格差と価値観の違いによって、疫病をコントロールする時の障害になりうることを考察しました。

しかし例えば不測の事態、

  • 有効な特効薬が供給されない
  • 18ヶ月後も世界中の人口にワクチンが供給できない
  • 重症化するケースをコントロールできない
  • 新型コロナウイルスの感染流行が周期化する

上記のような状態に陥った場合、

  • 南半球と北半球で感染爆発が交互する
  • 周期的にアジアと欧米で第二波、第三波の感染爆発が起こる

可能性があります。

 

その場合現在のように、

  • 強行的な自粛要請や都市封鎖が繰り返される
  • 継続的に経済活動を展開できない

可能性があります。

 

考えられる事態として、自粛期間を3ヶ月として周期的に年内に2度感染爆発が起こるなら実質6ヶ月間、影響が緩和された時に現代的な経済活動を展開できるが、多くの産業は需要が従来の半分になってしまうため、残りの6ヶ月間の経済活動は半ば原始的な生活を強いられるようになります。

 

恐らく低経済成長状態と高経済成長状態を繰り返すサイクルに陥る可能性があります

 

新型コロナウイルスが猛威を振るえば、自粛と自粛緩和を交互に行う必要があるかもしれません。

第三種国家への影響

中国、アメリカのような経済的な実力のある国を除き、アフリカや欧州など国家の経済状況のマイナス成長が続く中で、第三種国家が政策によって国家の秩序と安全を確保するのは非常に困難です。

 

例えば、現在感染状況が悪化しているスペインやイタリアでは大量の死者が出ていますが、観光業が国の主な産業なためコロナ禍が過ぎた後で産業規模がどのくらい復帰するかによって、国の経済状況が大きく変わります。

 

消費の需要が減るため、飲食、文化、広告、展示、製造業、零細消費を含む観光業などの商業は致命的な打撃を受け、都市の経済サイクルも現在の半分以下になることが予測できます。

 

これは同時に商業サイクルの崩壊を意味しています。

政府の保護はどこまで行き届くのか

政府は市民をどの程度まで保護できるのか、そして市民が政府にどの程度まで保護を望むのかが問題の焦点になります。

 

現在政府は市民に給付金や補償を約束していますが、この給付金や補償制度が長期間持続可能なものではないことは明らかです。

 

影響を受けた事業によっては1ヶ月間で破産に追い込まれるところがあれば、3ヶ月先まで自粛に耐えられるところもありますが、多くの事業はもはやビジネスモデルを大幅に変更しなくてはならなくなりました。

 

本来、都市をさらに発展させるため政府は市民に対して、教育資源の整い、事業の雇用機会があり、市民の平均寿命を延ばすために医療機関が配備された都市を提供することを条件に人口集中型の都市を構築してきました。

 

しかしコロナ禍によって、政府が都市に集まった人口を守れない状況になってしまうと、経済活動がさらに低迷した場合、市民のマスロー欲求も基礎が揺らぐことになります。市民の欲求は「自己実現」よりも「生命の安全」を追求するようになるでしょう。

 

結果、市民は政府に何も望めなくなり、自己で生存するために都市を離れ自然経済が成り立つ自給自足のような生活を選択するような可能性が出てきます。

先進産業と後進産業の定義の変化

需要の変化がもたらす影響により、先進的な産業を率いる新エネルギー産業の定義も変わってきます。

 

新エネルギー産業ではエネルギー毎に対して50$の交易バランスがありますが、公共交通と都市経済の維持に使用されるエネルギーや原油の価格が暴落するため、バランスは崩壊しエネルギー産業は一転して後進産業になる可能性が予測できます。

 

電車、地下鉄のような公共交通の設備は都市の負の遺産となり、港や空港は立ち直る可能性を失い、産業区域、オフィス街、展示空間などの需要が減り、大型の商業施設は淘汰されるようになるでしょう。市民の就職状況も一転し、都市に大量の失業者、ないし失業による自殺者が大量に生じてしまいます。

 

これは新型コロナウイルスが引き起こした直接的な打撃というよりも、新型コロナウイルスが引き起こした経済の一連の悪循環だと言えます

現代都市のあり方を振り返る

現代都市において、安全性に関する議論は軽視されてきました。

 

新型コロナウイルスをはじめとする疫病は専門家らによって解決されることを期待する一方、現在のパンデミックが引き起こした懸念や不安は、全世界的の人同士を断絶させるような働きかけています。

 

地理的な隔絶とは異なり、大陸間で新たな城壁のようなもので国毎に隔離しない限り、常に流動する人々によって疫病の影響を受けるからです。

 

都市と都市、国と国はまるで孤島のように人工的な方式で断絶されるようになるでしょう。しかしそれは現代文明を築き上げてきたものを否定することになります。

 

現代都市あるいは現代文明は一定の流動性、国際化の基に成り立ちます。発展を止めた文明は崩落し、封鎖的な農業文明への逆戻りを意味しています。

 

しかし、農作によって自給自足をしていたわけではない都市の住民は農業文明に移行したところで生存するために必要な能力を持っているわけではありません。現代人は生存能力において非常に脆弱な存在なのです。

 

つまり話を戻すと、都市や文明の崩落を防ぐには、やはり新型コロナウイルスを医療や科学の方法で解決するほかありえないということです。

 

特効薬にしても、ワクチンにしても、集団免疫を形成したり、罹患者の死亡率を抑えない限りは状況が改善することはありません。

 

それがかなわないのであれば技術的な方法で、例えば隔離のための国境に壁を設けたり、マスクではなくヘルメットのような防護装備を施したり、まるで火星空間で居住するような生活を強いられるようになります。

 

仮にこのような状況下では経済格差や地理的、文化的、人種的な問題を全て除外して生存に注力をしなくては危機的状況を乗り越えることはできません。

 

しかし医療という手段に頼って患者を治療するのか、あるいは公共衛生という手段で感染予防を徹するべきなのか、どのような方法も一長一短があります。

今後考慮される新たな医療形態

経済破綻、文明の崩壊を防ぐには新型コロナウイルスを医療的な手段で解決しなくてはならないと前述しました。

 

現在医療形態の新たな試みとして各国で考えられているものは、医療の体制をさらに分散させて、ビックデータを活用して、感染爆発の最初期を抑えるやり方です。

 

アメリカではPractical Nurse(准看護師)という制度があり、准看護師は基本医療中心施設ではなく、地方の医療施設に配備され、特定の状況下で患者に処方したり、薬剤を投与することができます。

 

病状が准看護師の許容範囲を超えた場合は、患者が都市のさらに医療設備が完備しているところへ赴きます。

 

例えばニューヨークで新型コロナウイルスパンデミックを受けた当初では、このように患者が地方から都市に赴くため、同じ病状の患者が集中し、実際には様々な地方で感染が起きているにも関わらず、あたかもニューヨーク都市内で深刻な感染爆発が起こっているようにデータ上見えていました。

 

ですがこのような感染者分布は大きな誤りで、地方から都市へ赴く患者を地方に引き止めたまま対症療法を施すことで、都市の医療機関に患者が集中してパンクするのを防ぎ、治療率を高めることができます。

 

従来の病院では医師は患者が診察室に来るのを待っていましたが、恐らく新しい医療形態において医師は自発的に患者を探し当て、感染初期で治療することで疫病の感染を効果的に阻止することができます

 

現在アメリカでは試験的に3年ほど前から導入された准看護師の制度をさらに見直し、地方へ医師を分散し、地方での治療レベルを引き上げることで都市の医療崩壊を防ぐといった検証が行われています。そのためにはビックデータの活用で患者の動向を追跡することが必要不可欠になります。

 

同時にビル・ゲイツがビックデータによる医療体制の構築プロジェクトを設立したことがアメリカで話題になりました。

従来の医療経験と異なる点

武漢市で感染爆発が確認され臨時の拡張病棟が建てられた際に、当初設計チームでは、感染者と非感染者の動線計画や経路を分ける必要があるのかと議論されていました。

 

しかし、蓋を開けてみれば実際には感染患者と感染していない患者の家族を隔離するだけで良いため、医療従事者の防護を徹底する方式が取られ封鎖された倉庫式の簡素な病院の建設が進みました。

 

他にも新型コロナウイルスに罹患した際にADE*1抗体依存性増強と呼ばれる現象が起き、症状が重篤化するようなことも見られ、感染力の高い新型コロナウイルスは一度治癒したとしても潜在的なリスクがあることが懸念されています。

 

感染者増加が抑えられた後でも他国から感染患者が移動してくるケースもあるため、入出国の際に14日間の隔離及び自宅待機が中国では依然義務付けられています。

ワクチンについてーSARS時を振り返る

2003年時のSARSはワクチンが完成したと同時に収束し、使用されなかった大量のワクチンは現在も医療倉庫に眠っています。

 

しかし当時と同じウイルスのSARSが流行し、経験によってワクチンを開発する期間は短縮できても、研究、試験、製造のプロセスを踏まなくてはなりません。ワクチンの開発には時間がかかり、どんなに速くてもワクチンの完成には最低4ヶ月かかると言われています。

 

もし未完成ワクチンが市民に投与され、問題があるとしたらそのワクチンによって亡くなる犠牲者が感染による犠牲者よりも上回る可能性があります。それでは全くワクチンの役割は果たせません。

 

新型コロナウイルスのような未知のウイルスの前に開発に18ヶ月の期間を要するのも、ワクチンの品質を保証するためです。

 

そしてワクチンが完成した時には既に多大なる犠牲があった後であること、あるいは事態が収束に向かい、完成したワクチンは使用されない可能性もあります。

教育の変化

私自身リモートワークそしてZoomを介した大学の授業を北京で4ヶ月間受けてきて感じたことを話すと、中国のネットを介した産業・インフラのあり方はリモートワークという教育の形態に非常に良く適合しているのだと感じています。

 

前回の記事に中国のデリバリーサービスが充実している旨を記述しましたが、中国発の配達運送サービス、淘宝(タオバオ)、美团(メイトヮン)といったネットで商品を注文、発送して、決められた時間内に配送するサービスの浸透率は全世界でも類を見ません。

 

ネットインフラの整備は民間企業ではなく、国が請け負うため、山間部や過疎地といった過酷な土地でも、国民の需要があればインフラ設備は利益度外視で整備できるという力技を施してきました。

 

そのおかげで中国のネットの普及率が格段に改善され、国民がこれらのサービスを日常的に利用できるようになりました。

 

2G(generation)から3G回線、ないし4G、5G回線の全国復旧は一朝一夕で終わらせたわけではありません。中国の教育現場では全国的にロックダウンを施し、外出自粛令が出ている中であまり障害なくリモートワークに教育形態を転じることができたのも、ネット環境の整備と浸透があったからこそだと考えられます。

 

アメリカや欧州でもリモートワークによる教育の試みがされていますが、ネット環境の浸透率で見ると、さらなる課題が見受けられます。

 

教育の現状では、本来学園内で物理的な移動や場所の制約があるはずなのですが、Zoomやリモートワークソフトによって全く移動する必要がなくなったため、本来一日に参加できる講義や会議の数がリモートワーク導入後に極端に増やせるようになりました。

 

大学の授業や講義が非常に効率的になりつつも、現場経験が不足することが非常に懸念されています。

 

もう一方で日本の小・中学生の調査アンケートを拝見したところ、リモート授業に転じたことで集団教育の場・物理的な活動に参加できないことから、授業の現実味が薄いと、不満を感じる声があがっています。

 

このような小・中・高学年のような多感な学生達に如何にして現実味を持たせた教育の形態に改善できるのかがリモート教育の真価が問われている部分だと感じています

最後に

不測の事態の予測はあくまでも一つの可能性に過ぎませんが、様々なリスクを知った上で今後の生活を考えることで、悪意のある情報に踊らされず、事態を乗り切るための新しいアイデアを思いつく突破口になるかもしれません。

 

徹底した隔離をして防護を施した上で、3密を避けるしか有効打がない現状で個人ができることには限界もあります。恐らく生活の転換点になる現在で重要なのは、情報を多面的に収集し、問題を整理することだと感じています。

補足

前回の考察はこちらへ。

asahi-kaki.hatenablog.com

 

*1:Antibody-dependent enhancement、軽症者が重篤化する主な原因だと考えられ、サイトカインストーム、多臓器不全を引き起こす可能性があります。