中国古建築をざっくりと分かる記事
中国古建築についてざっくりと基本を理解してもらうために簡単な解説をしていこうと思います。
はじめに
中国古建築に関する設計のディテールや力学的な作用、形態などを100%テキストで伝えきるのは無理ですが、「なぜ中国古建築はあのような見た目をしているのか」をもっと分かりやすく知ってもらえたらと思い、簡略化しつつ説明していきます。
中国古建築と日本古建築との区別にも触れられたらと思っています。
中国古建築の歴史をざっくりと
原始時代では
まず初めに私たちは何故、”住空間”が必要なのでしょうか。
答えは簡単で、風を避けて、雨を遮られて、就寝できる快適な空間が必要だからです。
原始時代では木の枝を三角形のテントのような形に並べて屋根を作り、その枝の隙間に藁や木の葉といった雨をはじき、風を防げるような材料を敷き詰めたものでした。
- ”屋根は雨を避けるために使用され始めた”
というのが注目すべき点です。
しかしテントを利用した事がある方ならご存知だと思いますが、その空間は常駐するには狭すぎます。三角形に組み立てられた屋根の端では座れるほどの高さしかありませんから、その後、屋根を更に高い位置へとつくる試みが各地で見られるようになっていきました。
夏朝(7000年前)では
木の枝(あるいはさらに加工された木材)を用いて円錐の形に並べて屋根をつくり、さらに柱と壁が住居の中に登場しました。
- ”柱は一階(または低層階)の空間の高さを確保する”
- ”壁は風を避けるのと、屋根の荷重を支える”
ために出現したのがこの時代での注目すべき点です。
問題は、このような簡易型の住居では藁でつくられた屋根、そして木製の柱は湿気や雨によって腐りやすく、住居として寿命が短いという点です。
建築に必要な材料と建設する労力に対して壊れた際に補修しなければならないのは燃費が悪く、理想的な形ではありませんでした。
秦漢では
屋根葺きに使用される材料が瓦になり、屋根の耐久性が劇的に改善されました。
瓦は高熱で加熱された土器のことですが、元は粘土なので形の加工が便利なのと、加熱後に堅固になる特性が発見されてから、屋根葺きの主な材料として使われることになります。
屋根は壁よりも外側に向かってせり出し、柱や壁が雨水に晒されにくくすることで柱と壁の寿命は大幅に延びました。小さな傘では内股で歩かなくては靴が濡れてしまいますが、大きな傘を持って歩けば、靴が濡れずに済むのと同じことです。
- ”材料や住居の寿命を延ばす”
ことがこの時代での注目すべき点です。
そしてようやく東洋古建築の基盤が固まりました。
中国古建築の特徴
中国建築の形態は不変ではありません。
官式建築と呼ばれるような国の権威を誇示するための建築であっても、実際の工程に応じて形式や規模を細かく変化させたりしています。多少の形態の差があっても総じて中国古建築と呼ぶので、注意しましょう。
例えばですが、中国の建築には尺寸の単位がありますが、時代によって実際の単位の規定は変動しています。
農耕時代では田んぼで収穫された穀物を容器に入れて、その容器の大きさが単位の基準になり、国民は単位に応じて国に税を納めなくてはなりませんが、時代によっては豊作であったり、飢饉があったかもしれません。
豊作時には容量、単位そのものを大きく計算し、税の徴収量を増やしましたが、そうでない時は税の徴収量が減ってしまうので見かけの数字を増やすために単位が小さくなりました(かもしれません、傾向なので断言はできませんが)。
つまり、中国古建築について調べると建築そのものの状態が分かるだけではなく、当時の行政状況や歴史なども知れるきっかけになります。
また、中国建築の構造形態の最高潮は宋朝時代の建築であり、”営造法式”と呼ばれる書籍に詳細な構造の規定や材料の加工法、そして建築形態についてとりまとめた知識などが記されています。
特に宋朝の中国古建築は日本や朝鮮(後述:韓国)ではほとんど複製されなかったので、研究価値は非常に高いと思われます。
では、中国古建築の特徴を振り返ってみましょう。
- ”屋根は雨を避けるために使用されはじめた”
- ”柱は一階(または低層階)の空間の高さを確保する”
- ”壁は風を避けるのと、屋根の荷重を支える”
- ”材料や住居の寿命を延ばす”
以上のポイントをおさえて中国古建築を理解すると良いかもしれません。
古建築構造形態について
井干式(校倉(あぜくら)/まるきづくり)
最も原始的で簡単な構造があぜくらづくりです。日本では木材を三角に加工するため少し珍しい仕様なのですが、欧米では現在もログハウスなどに使われている構造です。
寒冷地方でよく見られますが弱点も多く、
- 材料の消費が激しく、シロアリなどの防虫性、防湿性が低い
- 筐体の構造重量が大きいため、構造自体を高く作れない
などの特徴があります。材料の消費についてですが、本来壁には土などが使われますが、校倉に全て木材を使用するとなると、
木材を得るための労力>土材を得るための労力
なので、費用対効果の悪い建築方法です。寒冷地方には使用できる木材が豊富で、寒いと室内空間を狭くつくることで熱効率が改善されるので校倉造りが採用されます。
干欄式(棚屋/高床式)
校倉式の防湿性の欠点を解決すべく、地面から高い箇所に床を引き上げた建築様式です。湿度の高い南の地方で高床式が散見されます。
穿斗式
最も典型的な中国式住居に使用されています。
校倉づくりの技術が成熟した建築様式でもあり、不必要な梁と桁を省いた形なので、経済的に構造が組め、柱は屋根を持ち上げ、梁と桁は柱同士を連結させ、横方向の揺れと荷重に強くなります。
抬梁式
最も典型的な官式建築に使用されています。
建築空間内部に仏像などを収めるため、一部の柱を桁と接着させ、隣接した柱に力を流すことで高さを保ちつつ、限定的でありつつも無柱空間を実現できます。
穿斗式は柱が多いので内部の空間は大きくありませんが、穿斗式は同じ量の材料で抬梁式よりも安定した構造を作ることができます。
抬梁式の3つの分類(廳堂式、殿堂式、廳堂殿堂混合式)
殿堂式の形態は廳堂式よりも格式が高く、一般的には皇室や寺院などに使われています。
廳堂式は官僚の家族、衙門(行政長官のような役職)、地主の家系、四合院などに使われています。
殿堂式はさらに荘厳な雰囲気があり、平闇・平棋と呼ばれる天井の造りを使用でき、藻井(格天井や折上小組格天井よりも複雑な造り)と呼ばれる装飾があったり、草架(こちらも天井の構造の名称)を隠すことが許されます。廳堂式は全ての構造を顕にしなくてはなりません。
中国古代の慣わしでは、程度の高い位にいる者は役職や実績に応じて、家屋の装飾や等級が定められており、自身の権限を越える装飾や等級の家屋に住むことは許されていませんでした。
建築内部の天井を見るだけで皇帝か庶民か官民が住んでいたかをひと目で判別できるのです。
他にも廳堂殿堂混合式は特殊な装置や仏像を建築空間に安置するために、あえて規範から外れたやり方で廳堂式と殿堂式を組み合わせたものです。
建築の分類
中国建築は一文字で分類することができるので以下の建築様式は全てそれぞれに特徴を持っていて区別されます。
- 房・屋・舎
- 亭・台・壇
- 楼・閣・塔
- 館・院・堂・室・斎・居・廬・庄・庵
- 廊・軒
- 榭・舫
- 宮・闕・坊
興味がある方はこれらの建築分類の違いについて調べてみてください。
建築の層
建築には基礎と柱と、屋根と、屋根と柱の間を支える斗栱がありますがそれぞれの名称は
- 奠基層(基礎)
- 柱框層(柱)
- 鋪作層(斗栱)
- 屋蓋層(屋根)
上記の通りに呼ばれています。
奠基層
石造りの基礎ですが、こちらも建築様式に応じて石材や部材の用途、装飾などが指定されていて、排水などの性能を重点的に考慮し、時に装飾性の高いやり方を採用しています。
柱框層
柱には視覚的に美しく見せるために緩やかなカーブが付けられていてそれらは収分*1と呼ばれています。
柱上部には桁や梁、斗栱を接続させるために繋ぎ木の処理をされます。
側脚という柱の安定性を上げるために柱上部をあえて少し内側に傾ける方法がありますが、施工の複雑さから、中国明清の時代ではあまり採用されなくなりました。鳥居などに多く見られる手法です。
枋とは要するに桁のことですが、闌額、雀替、普拍枋のように桁の見栄えを良くするための装飾が施されたり、殿堂建築として他の建築との差別化をはかったものがあります。
鋪作層
斗栱(ときょう・組物。宋朝では鋪作と呼ばれ、清朝では科と呼ばれました)は東洋古建築の中で最も特別で象徴的な意味がある建築の構造形態です。
実は日本、韓国古建築には複雑な斗栱の再現はありません。それだけ構造の複雑性と技巧性が高い匠の代物だったのです。
斗栱は秦漢、隋唐、遼宋の時代では構造の働きをしていて、非常に荘厳なつくりでしたが、明清の時代では基本的に装飾として利用されるようになり、斗栱の規模と大きさは徐々に縮小していきました。
斗栱には二つの作用があり、横栱(水平方向への斗栱)は支柱の軸受けの面積を増やすことで安定性を底上げできます。さらに横方向の力を柱に集中することで、理論上は建築を水平方向に無限に延長して建てられます。
さらに斗栱は出跳(屋根の張り出し)を増やすことができます。構造の支えとなる斗栱が建築の外側に向かってのびると屋根を遠くまでのばすことができ、結果的に雨水に晒される柱の面積を減らすことができます。
出跳は隋唐の時代から見られるようになりました。屋根と斗栱は有機的に結合した構造なので、制作難易度が非常に高く複製が難しいとされています。
屋蓋層
屋蓋(屋根)の目的は瓦によって雨を凌ぐことです。
屋根の基本構造は瓦を最上部に置き、瓦を椽(たるき)で支え、椽は檁(りん)で支え、檁を斗栱で支えます。
日本・韓国の古建築で見られる椽は並行に配置しているため、特に四隅の連結箇所の短い椽は損傷しやすいという弱点がありますが、放射状に配置した場合、椽は軸受けやサポートとなる構造が枕木との接触面積が大きくなるので、剥落が比較的少なくなります。
飛檐(飛檐垂木・ひえんだるき)は中国古建築に見られる大きな特徴の一つです。その起源には桁と、側脚、そして斗栱が関わっていると言われています。
仮に軒下の空間を大きくつくる(目的:柱や壁を雨水で腐らせないために)ためには檐を大きく外側へせり出させなくてはいけません。すると大きな斗栱、大きな椽、大きな檁が必要になるので、檁と椽がお互いに衝突してしまう恐れがあるのです。
同じ空間で納められる部材には限度があるので、枕木などの構造一部を上方へ逸らすことで、部材同士の衝突を回避したのが飛檐、ということなのです。
しかし、今度は翼角(屋根の端)に上方向のカーブを入れて屋根の一部を逸らしたため、柱の下部が雨に晒されるようになります。
なので今度は翼角をさらに外へのばす出翹(部材を長く張り出す)ことで柱下部の雨による浸食を防ぎ、最終的に美しい曲線を描いた飛檐の屋根が出来上がったのです。
施工難易度が高く、機能美溢れる曲線を描いた屋根こそが中国古建築の特徴なのです。
後に明清では古建築に使われる材料や建築に要求される審美観が変遷し、斗栱が小さく装飾的なものへと退化し、飛檐自体も形骸化していったので、中国古建築の鮮明な構造特徴が変化していきました。
まとめ
中国古建築の最も基本的な知識を紹介してみましたが、典型にはおさまらない建築も多く、特定の時代の文献や建築が残っていないことが多いため、中国に来てみないと実感するのが難しいと思います。
僻地や大陸各所に重要な建築が分散しているため修復もアーカイブ化もなかなか進まず、専門家でも未知の部分が多いという現状です。
中国古建築と日本古建築の簡単な区別としては、上記で取り上げた斗栱、飛檐以外にはそこまで大きな差はありません。日本・韓国の古建築でなければ大体中国の古建築、と大雑把に捉えてもらっても良いかもしれません。
個人的な推測ですが、中国古建築は一度建てたら火災による焼失を除けば数百年は残るのに対して、日本古建築はそこまで長く持たせるという意識は薄く、式年遷宮のように20年周期で建築を新しくつくる方針が、地震が多発する厳しい環境では定着しやすい状況にあったのかもしれない、と考えています。
現に中国古建築に残る深刻な問題として、技術や伝統を受け継ぎ、修復や建造に携わる後継者が非常に不足しているため、海外の技術者に建築の修復作業を頼らざるを得ない状態に陥っています。
しかし、古建築に関する文献の解読や忠実な再現は海外の技術者には困難なため、いずれ遺産が風化そして完全に破損する前に、大規模に保存活動を進める必要があるでしょう。
特に宋朝の建築技術力には驚かされるものがありますが、その後も継続的に木造の建築形態が進化していったわけではなく、より庶民に普及しやすい胡同(ふーとん)が明清時代の建築の主流になりました。
近代・現代では欧米の理念を徹底的に取り入れた建築が中国では大半を占めるようになっていったので、時代の変遷を調べると中国古建築がどのように生態系に関わっていたのかをもっと知れると思います。
以上、ざっくりと中国古建築を分かる記事でした。