かーきアサヒの建築手記

建築デザインについての時短術や現留学先での生活の違いを面白くまとめていきます

建築はもはや商品なのか?中国建築界の闇について迫る!

 

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現在中国での一級建築士資格を持つ者はおよそ3万人といわれ、中国国内の建設需要と比べるとまだまだ人材が不足しているのが実情です。事実、隈研吾設計事務所ザハ・ハディド設計事務所などの個人事務所が日建や国内の設計事務所などの大規模設計グループと並んで中国で様々なプロジェクトを進めています。

 

一方で2008年北京オリンピックで完成した北京国家体育場”鳥の巣”スタジアムや2007年に完成した中国国家大劇場、そして同じく2008年に完成した中国中央電視台本部ビルなど、奇抜で未来的な建築形態、建設で生じた巨額の建築資材のムダにより、北京の重要文化財である故宮や街の景観を損なう恐れがあるということで、習近平氏が北京での一切の奇抜な建築物の建造を禁止したことが話題にもなりました。

 

それでもなお海外建築士の人気が根強く、上海などの交易が盛んな都市でプロジェクトが進むのは、その建築の商業価値やアイコンとしての注目度が重視されていることが要因だとも考えられています。

今回は建築家がデザインしたものを中国で実際に建てるということにはどのような意味合いがあるのかを解説してみようと思います。

中国国内での建築職業のシステム

中国の建築家、つまり一級建築士資格を持つ公務員の収入は日本や海外の一級建築士の収入に比べると10分の1程度であると言われています。

 

その大きな理由の一つに、中国での建築分野は厳密に言うと、建築デザインと構造分野に細分化されているので、デザインと構造とで責任が明確に分担されていること、そして中国国内での一級建築士の資格習得が海外に比べて簡単(構造学科の方面だけですが)であることが挙げられています。

中国では都市間を結ぶ交通機関の基礎整備、都市での公共建築の建設やそれに伴う経済効果を非常に重要視しているため、構造・建造方面は独自の発展を遂げていて、特に建設の着工から完成するまで速度が、世界的に見てもはるかに速いのが特徴です。

職能の細分化と責任の所在、そしてモラルハザード

公共建築物の場合、クライアントは建築物による経済効果と安全リスクを基準にデザイン案を選別するので、デザイン事務所はなるべくクライアントの目を引くようなデザインを提供し、実際にコンペで候補に選ばれたりやクライアントからの依頼があった場合、構造部門がそのデザイン案を元に建設可能であるかどうかをデザイン事務所にフィードバックや修正の提案をします。

ここで注意するべきなのは、仮に建築物が変形や倒壊など物理的な破損が起こってしまった場合、責任の所在は構造側にあり、建築の空間の用途や、機能に不具合がある場合はデザイン側が責任を持つというところです。

 

  • 刑罰の重い中国では、建設物の重要性によっては、ダムの構造設計を請け負ったエンジニアがダムの欠陥の責任を負って、無期懲役そして最悪の場合死刑になることもあります。
  • 詳しくは紹介しませんが、とある設計士が空港の構造を極限まで薄くした挙句倒壊し、結果的にエンジニア側が重い刑罰を背負った事例もありました。その設計士は元々構造のエンジニアをしていたので、構造の見栄えをよくするためにわざと構造をギリギリに設計した確信犯なのではないかとも言われています。

 

貴重な設計の人材を守るための制度ですが、あくまでも創作の自由度を確保するための最低限の規則であって、身代わりをつくって自分を守るための都合のよいルールではないはずです。そしてこのような事例はモラルハザードとも言われます。

 

 

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 他にもモラルハザードの例がありますが、違法ダウンロードもその代表的な例でしょう。

 

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 こちらでは、フランクゲーリーの語る建築家の職業責任についても少しまとめております。

 

ドイツの一級建築士資格では構造分野も建築士が熟知していないといけない分野になり、取得の倍率は中国の10倍以上高いともされています。つまり、中国建築士と海外建築士との収入の差は、市民の安全を守る際に発生する責任の大きさが関係しているとも言えます。

デザイン分野での傾向

中国のデザイン分野と構造分野が基本は分かれていますが、実際には設計事務所とクライアントとの契約の内容によっては、都市計画、敷地計画、建築用途計画、建築デザイン、構造、施工、インテリアデザインなどの多岐に渡る仕事を一貫してデザイン事務所内で請け負うことも外部に委託することもできます。

特に構造や施工の質を保証できない海外の環境では、信頼できるチームに依頼できるかどうかが初期のデザイン案をいかにコントロールして建設できるかに深く関係してきます。

 

  • よくある話なのですが、コンペではインパクトを追求してクライアントから支持を得たとしても、実際にデザイン案が内定してこれから建設をする段階で、予想以上に建築資材がかさんだり、そもそも実現が困難な構造であったり、構造部門に実現可能なデザイン案を算出してもらったら元のデザインのインパクトがなくなり、プロジェクト自体が頓挫してしまうことがあります。

 

その他にも、中国の経済状況は2008年をピークに年々停滞している状況にあり、北京市内だけでも大量の企業が倒産したり、経済状況が悪化したために資金がまわらなくなった結果、既に施工しているにも関わらず未完成である商業ビルがたくさん存在しています。

  • ゴーストタウンとも呼ばれますが、そうした建造物は他の企業が買収したり、ほかの目的で再利用することもあるのですが、元の企業内での裁判や訴訟が長期化し、未完成のビルが時間が経つにつれて、ビルの本来の使用用途やマーケットの状況が変わり、有効な商業利用ができなくなるケースが増えています。その多くの場合、建築物自体も企業のイメージに合わせてデザインしたものなので、奇抜なものが多かったり、企業の莫大な資金力に依存した大胆な外観をしているものがほとんどです。

 

そうした揉め事が中国では後を絶たないので、昔はインパクトのある少し無理があるデザイン案を押し出し、設計事務所の利益が確定した時点で構造部門に尻拭いをしてもらう…ということが常套手段と化していたのですが、現在では一貫してプロジェクトを管理して、質を保証してくれる事務所に依頼するようになってきました。そして台頭してきた事務所が隈研吾設計事務所ザハ・ハディド設計事務所やフランクゲーリー設計事務所、MVRDV、OMAなどの海外事務所であるということなのです。


建築批判の風潮

大学講義で今は亡きザハ・ハディド氏が訪問されたことがあるのですが、当時は日本オリンピック招致のために安藤忠雄ら審査委員会が、ザハ・ハディド氏の新国立競技場のデザイン案を一度選んだにも関わらず、白紙撤回され、さらに隈健吾事務所がそのデザイン案を受け継ぎが決定したことが話題にあがりました。

 

その心情をザハ氏は質問された際に、「私のデザイン案を否定した者(日本)は、私の実力に嫉妬している」という言葉を残しました。これは負け惜しみやハッタリでもなんでもなく、ザハ・ハディド氏の自らの経歴、経験による自信からくる発言でしょう。

なにより日本五輪の誘致にはザハ氏のデザイン案による未来感あふれる形態ありきで審査に通ったため、ザハ氏のデザイン案への批判や審査を務めた安藤忠雄などに怒りの矛先を向けるのは見当違いなのです。

 

当時、ザハ・ハディド氏のデザイン案が撤回され、一般公募に差し戻された時に公開されたデザイン案を投稿する公募条件をネットで見て、違和感を覚えた方も少なくないでしょう。それもそのはず、一部の実績がある設計事務所にしか応募資格がなかったからでした。ネットに公開された個人によるデザイン案は問題を解決したり、国を代表する水準に到達するには圧倒的に力不足だったのです。高い専門性が必要な建築デザインでは建設や都市計画の実情を知らない多数の意見を参考にするのは難しいです

 

  • SNSやネットサービスの浸透が進み、誰もが情報を簡単に手に入れたり、ネットで発言ができるようになりました。中国では建築のアイコンとしての意味合いは一層強まり、アイコンのイメージによって建築の経済効果が大きく左右されるとも言えます。SNSに載せられた際には、中国中央電視台本部ビルが「大きなズボン」と呼ばれてしまうこともありますが、こうした表層的なレッテルを貼る行為は一建築家には大きすぎる風評被害を与えてしまうのです。ネット上で自由に発言する市民と責任や使命を抱える建築家を同列に扱うことはできません。

 

批判は役に立つが創作には向かない

建築家に重宝される素養としてクリティカル・シンキング批判的思考をすることが挙げられます。批判的思考はあらゆる問題を特定して、適切に問題を分析することで最適解を導き出す思考方法のことであります。

しかし批判的思考をするのに陥りがちな罠として、批判の前にはまず問題や対象を理解しなくはならない、そして偏見(バイアス)が入ってしまっては正しく問題を見れないというものがあります。その場合「理解をするために批判」をしているわけではなく、揚げ足取りの「批判のために批判」をするようになってしまう恐れがあり、批判はかえって創作の動機を妨げるものになってしまいます。

 

  • 例えばですが、クライアントはミニマル主義であり、必要最低限の住居機能を備えたミニマルな建築を建築家に依頼するとします。そして、その建築家はミニマリストのための空間を必要最小限のもので作る決意をし、可能な限り最も少ない建築資材で、最も小さい空間で、最も少ない収納を備えた建築にしました。必要なものを極限まで削ぎ落としたスーパーカーのような空間ですが果たしてそれはミニマリストのための建築と言えるのでしょうか?

 

ミニマルの発想は根源はものが溢れた状態を浪費とし、必要なものは他人にシェアしてもらう、他者との共生の意思が含まれています。

 

必要最小限で作った空間には必要な時に他人にシェアしてもらえる、そして他人が必要な時にシェアできる空間でしょうか。ひょっとしたら建築家は自分本位でのミニマリストを想像したかもしれません。きっと必要最小限の資源で生きる人は他人との付き合いも必要最小限なのかもしれないと、どこかで決めつけてしまったため、他人とシェアができない空間を作ってしまったのかもしれません。

特定の人のための建築を額面通りに受け止め、決めつけてしまったりするのはクライアントが空間を自由に使う可能性を狭めてしまい、自分が最適解を得たと決めつけてしまうことが徐々に創作の必要性、創作意欲を削ぐことに繋がってしまいます

 

批判をするにも、理解と偏見をなくすこと、そしてクライアントへの共感を示すことが重要なのです。

建築を立てた時点で目標達成になる

中国の建築プロジェクトは世界的にみても市場が大きいのですが、競争もその分激しく、自分のデザイン案が採用さえされればそれでいいと思う建築家が大多数です。

建築家はクライアントのお金で自分の理想を実現する、という言葉が建築業界で知れ渡ってますが、建築家の理想をクライアントをそそのかして、押し付けてしまっていることがほとんどなのです。

 

なぜなら、SNSなどのメディアに発信したり、ネットに建築作品が掲載されたりする以上、建築家は第三者の批判の声も聞かなくてはなりません。そのために、建築家は批判されないように皆がわかりやすい建築を好むようになり、そこにクライアントや建築の利用者の声が徐々に反映されなくなります。それはつまり、中国では建築は商品としての側面が強く、経済効果や商品イメージこそが重要視されていることが分かります

良心を欠いた建築家を生む環境

簡潔に言うと、中国の市場や実情が良心を欠いた責任意識の低い建築家を生み出しやすい環境をつくっています。

 

  • 例えば商業的な空気についていけない建築家が、その建築に対してデザインを練り込まずにクライアントに提出した場合、クライアントは複数の事務所に依頼しているので、クライアント側は実力の出し惜しみをする建築家に大きな仕事を依頼することは少なくなります。その建築家は依頼される仕事の規模が縮小していくので、徐々に建築家の意欲を削がれる悪循環に陥ります。

 

  • 一度名を挙げた建築家に起こりやすいケースですが、同じシリーズの建築を作りすぎてしまうと、建築家の最適解の答えからさらに新しい結論を導くのは難しくなってしまうのです。うまくいくことがわかっているからこそ、傲慢な態度を周囲にとりがちになります。それはクライアントと共に建築をつくるという意味では好ましくないことなのかもしれません。

 

批判を恐れずに創作をし、クライアントや市民の利益を最大化することは重要ですが、それが意見を聞き入れない自己満足で終わってしまうと、独りよがりなナルシストに変貌してしまうでしょう。

まとめ

今回は中国国内での建築職業のシステムやそれに追随するさまざまな問題の事例、そして建築家に付きまとう批判や建築家が陥りやすい悪循環についての解説してみました。

ですが根本には建築家が総合的な、正当な評価をされていないことがその悪循環を生み出しているのではないかと考えております。しかし、それは建築家がその環境に悲観的になるのではなく、世の中の変化に対応していくことが建築家に必須のスキルとなっていくことでしょう。